2009年 06月 19日
火防ぎの神 秋葉神社・番外編
幾年も 思い続けし お参りで
心鎮まる 火防ぎの神 よし
何年も前から一度行ってみたいと思っていた、秋葉神社(正式には 秋葉山本宮秋葉神社)にお参りしたことで、自分自身が満足して、心が静まったような気分になった。
かといって、心の中に、火防ぎの神様に鎮めてもらわねばならないような、燃え上がるものがあったわけではない。
昨日の記事の補足になるがもう少しご覧頂きたい。
あの、霧に霞んだ大鳥居をくぐるとその先は、綺麗に整備された石畳と石段が続く。
参道の周囲は樹齢200年と言われる秋葉杉でうっそうとしていた。
うっそうと 巨木の茂る 参道に
ただえさを食み 神鹿遊ぶ よし
参道の脇には可愛い鹿が無心にえさを食んでいた。ちょうど朝食に時間だったようだ。
しばらく登ると、参道が平らになり平成になって建立したと言う立派な彫刻の施された神門が現れた
その脇には、樹齢650年という杉の古い切り株があった。
石段の数は数えたわけではないが、標高差にして全部で150~200mくらいは上がったと思う。
森林欲と、運動と、・・・・神様は有り難い。
余談
大鳥居といい、参道の石段といい、社殿といい、全部新しい建造物ばかりだ。
歴史のある神社だが、式何遷宮のしきたりがあるとも聞かない。不思議だ。
実は、昨日の話に登場した、下社の前で話したおじいさんの話だが、大分前のことだが、この山で大きな山火事があて、神社が焼けてしまった。そのとき、ご神体を、この下社に移した。
そして、上社を建て直して、もう一度ご神体を遷座した。だから、下社には今は秋葉さまのご神体はないとのことだった。
それで、本殿を初めとして付随する建物もみんな新しいわけが分かった。
ちなみに本殿は昭和61年の建立だそうだ。
だが疑問が残る。
そんな大火があったのに樹齢400年の杉の巨木はこげたあとも見られなかった。
あのあたりは延焼を免れたのだと言うことにしておこう。
火防ぎの神が大火に見舞われるとは矛盾している。と思うかもしれないが。
仮に私が宮司だったら、こう答えるだろう。
本来ならば、みなさんが被害を蒙るところ、神様が火の災いをご自身のほうに引き寄せて、皆さんをお救い下さったのです。これぞ火防ぎの神のご加護です・・・と。
流石に、社務所でそのことについて尋ねる勇気はなかった。
だが、インターネットで、いくつものサイトを調べたが、その火災のことは記述がない。
東京、秋葉原
秋葉原と秋葉神社について
明治の初めの頃に東京に火災が頻発した。これを明治天皇の母君が非常に心を痛めているのを見た、明治天皇が、太政官に命じて、皇居内にあった、火防ぎの神様を今の秋葉原の地に移し、秋葉神社と命名したという。そして防火のための空き地として原っぱを作った。秋葉神社のある原っぱということで、これが今の秋葉原の地名の由来とか。
ただ、なぜこのとき秋葉神社としたかは私には分からない。
今もその神社は少しはなれたところにあるが、東京には秋葉原という地名はない。
どうも今回の話の秋葉神社と、東京の秋葉原とはつながりがないみたいだ。それ以上のことは私には分からない。なぜなら、この話は、落語のネタから仕入れたものである。
なんだかまとまりのつかない話の結末になってしまった。
心鎮まる 火防ぎの神 よし
何年も前から一度行ってみたいと思っていた、秋葉神社(正式には 秋葉山本宮秋葉神社)にお参りしたことで、自分自身が満足して、心が静まったような気分になった。
かといって、心の中に、火防ぎの神様に鎮めてもらわねばならないような、燃え上がるものがあったわけではない。
昨日の記事の補足になるがもう少しご覧頂きたい。
あの、霧に霞んだ大鳥居をくぐるとその先は、綺麗に整備された石畳と石段が続く。
参道の周囲は樹齢200年と言われる秋葉杉でうっそうとしていた。
うっそうと 巨木の茂る 参道に
ただえさを食み 神鹿遊ぶ よし
参道の脇には可愛い鹿が無心にえさを食んでいた。ちょうど朝食に時間だったようだ。
しばらく登ると、参道が平らになり平成になって建立したと言う立派な彫刻の施された神門が現れた
その脇には、樹齢650年という杉の古い切り株があった。
石段の数は数えたわけではないが、標高差にして全部で150~200mくらいは上がったと思う。
森林欲と、運動と、・・・・神様は有り難い。
余談
大鳥居といい、参道の石段といい、社殿といい、全部新しい建造物ばかりだ。
歴史のある神社だが、式何遷宮のしきたりがあるとも聞かない。不思議だ。
実は、昨日の話に登場した、下社の前で話したおじいさんの話だが、大分前のことだが、この山で大きな山火事があて、神社が焼けてしまった。そのとき、ご神体を、この下社に移した。
そして、上社を建て直して、もう一度ご神体を遷座した。だから、下社には今は秋葉さまのご神体はないとのことだった。
それで、本殿を初めとして付随する建物もみんな新しいわけが分かった。
ちなみに本殿は昭和61年の建立だそうだ。
だが疑問が残る。
そんな大火があったのに樹齢400年の杉の巨木はこげたあとも見られなかった。
あのあたりは延焼を免れたのだと言うことにしておこう。
火防ぎの神が大火に見舞われるとは矛盾している。と思うかもしれないが。
仮に私が宮司だったら、こう答えるだろう。
本来ならば、みなさんが被害を蒙るところ、神様が火の災いをご自身のほうに引き寄せて、皆さんをお救い下さったのです。これぞ火防ぎの神のご加護です・・・と。
流石に、社務所でそのことについて尋ねる勇気はなかった。
だが、インターネットで、いくつものサイトを調べたが、その火災のことは記述がない。
東京、秋葉原
秋葉原と秋葉神社について
明治の初めの頃に東京に火災が頻発した。これを明治天皇の母君が非常に心を痛めているのを見た、明治天皇が、太政官に命じて、皇居内にあった、火防ぎの神様を今の秋葉原の地に移し、秋葉神社と命名したという。そして防火のための空き地として原っぱを作った。秋葉神社のある原っぱということで、これが今の秋葉原の地名の由来とか。
ただ、なぜこのとき秋葉神社としたかは私には分からない。
今もその神社は少しはなれたところにあるが、東京には秋葉原という地名はない。
どうも今回の話の秋葉神社と、東京の秋葉原とはつながりがないみたいだ。それ以上のことは私には分からない。なぜなら、この話は、落語のネタから仕入れたものである。
なんだかまとまりのつかない話の結末になってしまった。
by yo-shi2005
| 2009-06-19 22:26
| その他いろいろ
|
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Comments(10)
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yuriazami at 2009-06-19 23:01
こんばんは~
霧がかかってとても神秘的ですね。
樹齢650年~~何もかも神秘的!
良い運動になりましたね~~~
霧がかかってとても神秘的ですね。
樹齢650年~~何もかも神秘的!
良い運動になりましたね~~~
0
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tamy
at 2009-06-20 09:40
x
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miyakeoriibu at 2009-06-20 14:41
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yo-shi2005 at 2009-06-20 16:23
yuriazami さま
コメント有難うございます。
ちょうど霧がかかってきて、夏の日差しをさえぎってくれて、その上神秘的な雰囲気を作ってくれました。
いい運動になりましたし、森林浴とやらで、気分爽快でした。
コメント有難うございます。
ちょうど霧がかかってきて、夏の日差しをさえぎってくれて、その上神秘的な雰囲気を作ってくれました。
いい運動になりましたし、森林浴とやらで、気分爽快でした。
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yo-shi2005 at 2009-06-20 16:26
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yo-shi2005 at 2009-06-20 16:29
miyakeoriibu さま
コメント有難うございます。
本殿はこの奥100mあまりのところで、50段ほどの高いところにありました。
本殿の位置で海抜が860mと書いてありました。
運動と森林浴、とおまいりで、心身ともにリフレッシュしました。
コメント有難うございます。
本殿はこの奥100mあまりのところで、50段ほどの高いところにありました。
本殿の位置で海抜が860mと書いてありました。
運動と森林浴、とおまいりで、心身ともにリフレッシュしました。
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timata-sn at 2009-06-20 21:34
yo-shi2005さん こんばんは
今日も蒸し暑かったですね、夜には雨と言って居ますが、雨が欲しいですよ。
樹齢650年とは凄いですね!!
流石火防ぎの神様で人の災難を一手に引き受けて下さったのですね。
有り難い事ですね。
海抜860mの高い位置に有ると云う事が森林浴に石段を登り足腰を
鍛えてお参りが出来ると云う事はyo-shiさんが健康な証拠ですね。
今日も蒸し暑かったですね、夜には雨と言って居ますが、雨が欲しいですよ。
樹齢650年とは凄いですね!!
流石火防ぎの神様で人の災難を一手に引き受けて下さったのですね。
有り難い事ですね。
海抜860mの高い位置に有ると云う事が森林浴に石段を登り足腰を
鍛えてお参りが出来ると云う事はyo-shiさんが健康な証拠ですね。
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yo-shi2005 at 2009-06-20 21:46
ひろ子はん
コメント有難うございます。
私も歩いていて、神域を歩いている言う感じしました。
火防ぎの神さんが、火災で焼けてしもたゆう話をもっと詳しく知たかったのですが、その話は見あたらんかったので、私がコメントしておきました。
コメント有難うございます。
私も歩いていて、神域を歩いている言う感じしました。
火防ぎの神さんが、火災で焼けてしもたゆう話をもっと詳しく知たかったのですが、その話は見あたらんかったので、私がコメントしておきました。
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yo-shi2005 at 2009-06-20 21:51
timata-sn さま
コメント有難うございます。
昼間はいい天気でしたが、夜9時半頃に雨が降ってきました。
この神社は、山の上にあり神社の境内に入ってから石段と踊り場が長く続いて数百メートルはあったと思いますが疲れは感じませんでしたね。いい運動になりました。
コメント有難うございます。
昼間はいい天気でしたが、夜9時半頃に雨が降ってきました。
この神社は、山の上にあり神社の境内に入ってから石段と踊り場が長く続いて数百メートルはあったと思いますが疲れは感じませんでしたね。いい運動になりました。