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2016年 12月 14日

義兄の作った原稿を入手

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高崎で埴輪の里を見学した四人は食事をして楽しかった集まりの余韻を残して再会を約束して別れた。
私はその後、帰途に就くための高速道路には向かわずに、反対方向の姉の家に急いだ。

「13日に行くから」
と言ったら、
「私はいないかもしれないから、勝手口からでも入って、欲しいものをもってっていいよ」ということだった。

私は約束通り留守の家に上がり一番奥まで入って、十数年前に他界した義兄が、その直前まで一生懸命研究して書いた、原稿を探した。

姉にしてみれば邪魔で、少し捨てたそうだ。
私は
「捨てるなら俺が見てから捨てなよ、あとで俺が見に行くから」と言っておいた。
「わかったよ、あんなもの重たくって一人じゃ捨てられないよ」。と言っていた。

ところが留守の家に入って、奥の方を探したが、その大量の原稿がどこにあるか見当たらない。
やたら探したら、これだけあったので、それだけ抱えて、ちょっと表紙を見ると、こんなのがあった
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これは来年の大河ドラマの時代から少し時代が下がったあたりのころを書いていると見た。
中身までは見ている時間がなかった。


ここでゆっくりして居たら、道路が混雑する時間帯になってしまうからだ。

井伊直虎は女性だが子供はなかった、でも身内から養子を迎えていたのでお家断絶の心配はなかった。
その子孫の直正、直勝、達の話がこの原稿には載っている。

一部を書いてみると
慶長十九年、大坂の陣に井伊直勝は徳川二代将軍に「私は体調が悪い為に弟直孝を身代わりとして出陣させて、自らは弟の(碓氷藩)安中城主に、そして弟直孝を彦根城主三十万国に」と推したとされている。
翌元和元年七月十八日に井伊直勝は彦根より母・唐梅尼とともに、築城なった安中城主として入城し・・・・・と書いてある。

このように戦国時代から江戸時代そして現代までの史実や言い伝え民話などが冊子の形で書き残されている。

それが、持ち上げられないほどたくさんどこかに積んであると言っていたがそれが、短時間では見つけ出せなかった。
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私は歴史好きではなかった。
そもそも中学でも高校でも歴史の教科は教える方が、店舗がゆっくり過ぎて徳川幕府が始まるかどうかのあたりで学年が終わってしまって尻切れトンボの歴史教育だった。
だから、NHKで放送される大河ドラマをはじめとして歴史番組には興味があるし、私の人生に関係の深い群馬県や静岡県の歴史には興味を惹かれる。
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このブログを書きながらも、この原稿を拾い読みのつもりがついつい続きを読んでしまってブログの作成が遅々として進まない。

今日はこのくらいにします。



by yo-shi2005 | 2016-12-14 20:05 | 随想 | Trackback | Comments(0)
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