2019年 04月 01日
郊外の量販店に買い物に行った。
量販店の駐車場の隣は、桃畑だった。
そこでは、春爛漫で、桃の花が満開だった。
でも、畑自体は、いわゆる耕作放棄畑になる寸前か、あるいはすでに耕作放棄されてしまったのか、桃の木の根元は畑全体が雑草に覆われていた。
このあたりから南の方は従来は桃の産地だった。
あの当時は、このあたりはどっちを向いても桃畑で、この季節になるとさながら、「桃源郷」と言った感じだった。
その名残としてここから1kmほど離れたところには、今でも、「桃園町」という地名も残っている。
でもその桃園町に行って見ても桃畑がほとんど見当たらなくなってしまったのは残念な気もする。
こんなことを思い出した。
結婚間もないころ、長男を身ごもった妻は、何も食べられなくなってしまった。
そこで
「桃だったら食えるかなぁ」と聞いたところ妻は
「うん、あんまり甘っとろくない桃だったら食べられるかもしれない」というので家から数キロあるこの地にバイクで桃を買いに来たことがあった。
ある農家で「あんまり甘くない桃ある?」と聞いたら農家の親父さん変な顔をしていたっけ。
今はその農家も桃畑もなくなって何かの工場になってしまった。時代の流れで仕方がないのだろうが。
いろいろなことを思い出す桃の花です。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は自分の記憶のためにこの写真をアップしておきます。私もテレビを見ていました。
私もいろいろな元号を想像しましたが、「令」の字は想像外でしたね。
満開の桃の花で思い出す
量販店の駐車場の隣は、桃畑だった。
そこでは、春爛漫で、桃の花が満開だった。
でも、畑自体は、いわゆる耕作放棄畑になる寸前か、あるいはすでに耕作放棄されてしまったのか、桃の木の根元は畑全体が雑草に覆われていた。
このあたりから南の方は従来は桃の産地だった。
あの当時は、このあたりはどっちを向いても桃畑で、この季節になるとさながら、「桃源郷」と言った感じだった。
その名残としてここから1kmほど離れたところには、今でも、「桃園町」という地名も残っている。
でもその桃園町に行って見ても桃畑がほとんど見当たらなくなってしまったのは残念な気もする。
こんなことを思い出した。
結婚間もないころ、長男を身ごもった妻は、何も食べられなくなってしまった。
そこで
「桃だったら食えるかなぁ」と聞いたところ妻は
「うん、あんまり甘っとろくない桃だったら食べられるかもしれない」というので家から数キロあるこの地にバイクで桃を買いに来たことがあった。
ある農家で「あんまり甘くない桃ある?」と聞いたら農家の親父さん変な顔をしていたっけ。
今はその農家も桃畑もなくなって何かの工場になってしまった。時代の流れで仕方がないのだろうが。
いろいろなことを思い出す桃の花です。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は自分の記憶のためにこの写真をアップしておきます。私もテレビを見ていました。
by yo-shi2005
| 2019-04-01 20:05
| ひとりごと
|
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Comments(2)
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by
ぉ茶
at 2019-04-02 07:11
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長らくその桃園町の住人でした。
当時は一面桃畑とミカン畑、時々梨畑でしたが、今は見る影もなし…
当時は一面桃畑とミカン畑、時々梨畑でしたが、今は見る影もなし…
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by
yo-shi2005 at 2019-04-03 12:18
お茶さま
コメントありがとうございます。
そうですねぇ、今では町名の看板を見なければ桃の産地だったなんて想像もできないほどになってしまいました。
近いうちに足柄へ行こうと思っています、古滝のあたり。と夕日の瀧、ちょっと足を延ばして洒水の瀧あたり。行って来たら様子をこのブログに載せます。丹沢も行きたいです。
コメントありがとうございます。
そうですねぇ、今では町名の看板を見なければ桃の産地だったなんて想像もできないほどになってしまいました。
近いうちに足柄へ行こうと思っています、古滝のあたり。と夕日の瀧、ちょっと足を延ばして洒水の瀧あたり。行って来たら様子をこのブログに載せます。丹沢も行きたいです。