2017年 08月 17日 ( 1 )

2017年 08月 17日

初めての帰省の思い出

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読みっぱなしになっていた古新聞を片付けていたら、月始めの夕刊にこんな記事を見つけた。

作家の重松清さんの、ご自分の思い出を書かれたもので、読んでいくうちに、「そうだったなぁ、俺もそうだった」「俺のおっかさんも必要以上に心配してくれたっけなぁ」なんてことが次々と出てくる。
重松さんの場合は40年前だそうだが、私の場合は半世紀を超えている。
ちょっと文字が小さいですが、新聞の切り抜きです。

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私の場合は、商業高校を卒業してすぐに上京して、全従業員100名あまりの会社に就職した。
アパートを借りて・・・なんてことは夢にも考えず、早速寮生活だ。

昭和〇〇年3月22日10時までに本社に来て、入社式に臨むようにと会社から通知を貰っていたので、当時は汽車で上野までおよそ3時間かかったから、朝薄暗いうちに家を出て、一緒に入社する同級生の友達と高崎駅で待ち合わせて、彼は会社までの電車の乗り換えを知っていたので一緒に行った。

それから4か月。
待ちに待った帰省できるシーズンが来た。
当時会社は毎月1日と15日が全休それ以外の日は、毎日仕事、だから一泊二日で全員同時に休みを取ることはできなかった。
そこで、それぞれから希望を取って、なるべく希望に沿うように帰省する日を会社が割り振ってくれた。
私は順番が早く、7月に帰れることになった。

早速家にはがきを出した。「七月二十五日に帰ります」と。

家から来るときは学生服で来たので、ズボンとシャツを買った。
お土産も買った。
前夜はなかなか眠れなかったのを覚えている。
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3時間汽車に揺られ、高崎を過ぎて、降りる駅に着いた。
通学していた駅そのままなのに、4が月しか過ぎていないのにやたら懐かしく感じた。

そこから歩きなれた十数分の田舎道を歩き、家に着いた。

「ただいまぁー」・・・・やっぱり只今だった。

最初に奥の方から出て来たのは私が一番かわいがっていた、兄貴の次男坊のMだった。
「あっ、おいちゃんだぁ」
「おぉ、M おおきくなったなぁ、はぁ、おしめはいらねぇんかぁ」
そこまで言うのがやっとだった、甥を抱き上げて、私は涙を抑えるのが精いっぱいだったのだ。

それから、母や兄貴、父親とそれぞれ出てきてみんなと和やかに挨拶をした

これが私の帰省一年生になった瞬間だった。

生家に帰って両親に遭って様子を見てくる、これが帰省なのだそうだ。
だから当時は帰省で正しかったのだがその後父も母も他界した。だから今は生家に帰ってもこれは帰省とは言わないわけだ。ではなんというと言われてもそれは知らない。
それにここで生家と書いたが、実家とは、お嫁に行った娘が生まれ育った家のことを実家というのであって、我々の場合は実家とは言わないのだそうだ。これは生家でよいのだそうだ。

e0033229_19102146.jpgところで生家に帰った私は家族に少しはいいとこを見せたいと思っていたところに、チリンチリンとベルの音が聞こえて来た。
アイスキャンデー屋だ。
「よし、これにしよう」
妹を呼んで大きなどんぶりを持ってこさせた。
「キャンデー屋さーん、ちょっと待って」
家じゅうみんなに一本ずつアイスキャンデーをごちそうした。当時我が家は人数が多かったがそれでも50円もかからなかったと思う。


みんながおいしそうにアイスキャンデーを食ってる姿を見て私も嬉しかったが・・・・
おっかさんは
「よし、無駄遣いするんじゃねぇよ、一生懸命働いて貰った給料なんだから大切にしなよ」

やっぱり母親は、俺が何をしても、何を言っても、心配してくれているんだなとその時しみじみ感じた。

あの当時、生家のある群馬県までの往復の費用は、500円あればちょっとしたお土産まで買えた。
by yo-shi2005 | 2017-08-17 20:05 | 随想 | Trackback | Comments(0)


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